樂 大前木材

樂 – ROKU –

林業を営む夫婦がつくる、天然木と天然石をつかった素朴なアクセサリー「樂 – ROKU -」。

樂の工房は、森深い場所にありました。その母体は自ら木を切り製材販売する大前木材。

林業、製材、建築と、木と住まいに関する事業を展開していった先代は、伐倒した枯木も価値ある資源と考え、大切に保管してきたそうです。

現代表の浅香ご夫妻が、地元甘楽町秋畑の山林に再び注目してもらおうと、この材を用いて木工品づくりを始めたのが「樂」の起源。ヤマザクラを使った楊枝入れに始まり、様々な生活小物、そしてアクセサリーなどに展開することで、より多くの人々と出会い、語る機会を得ました。今後は書棚やテーブルなどの大物、そしてDIY用の杉・ヒノキの販売も行い、地域の森林の循環に貢献していきたいとのことです。

太陽と月をモチーフにした、喜虹(きこ)と名付けたアクセサリーシリーズは、イベントやデパート催事などでの販売を通じ、自然愛好家や、文化志向の高いミドル女性を中心に人気を獲得。 「エシカル消費」という言葉が少しずつ浸透し始めた今、性別問わず若い世代にも受け入れられ、その素朴で愛らしいデザインと、製作の背景にある想いが共感をよんでいます。

森林面積が国土の7割も締めている日本。しかしこの日本で使われる木材の約7割が外国産材という木材自給率の低さにより、国産木材の価格も下落してしまい、森林整備もままならず、様々な問題を生じさせるという負のスパイラルに陥っていました。地元の木を使うことは地域経済や森林の循環に必要不可欠なのにも関わらず、多くの方が低コストに傾倒してしまっているのです。しかし地球温暖化や循環型社会の実現への流れ、そして近年のウッドショックや円安の影響もあり、木材の地産地消の流れも大きなものとなってきています。

日本国内における森林の循環は大丈夫だろうと、浅香氏は言います。 世界に目を向けると、生活困窮者による絶滅危惧種の違法伐採など、悲しい現実にも直面します。現地の人たちの身になれば、それを生活の糧とせざるを得ないのは当然のこと。しかし植林できないままでは、彼らも生きていけないこととなってしまう。

「樂」というブランドは、そうした違法伐採された絶滅危惧種を用いたアクセサリーをつくり、多くの方々に身に付けていただくことで、その危機的状況を多くの方々に伝えたいという想いがベースにあります。そして浅香夫妻は、少しずつでもみんなでこの問題解決に向かっていけるよう、天然木と天然石のアクセサリーづくりを続けています。

世界で植樹する事が夢だ、と浅香氏は語ります。 地元の資源を大切に使い生活の糧としていくことは、自然や山とともに暮らしてきた人類にとって不変のもの。忘れてはならないその事実を私も身につけて生きていこう、そう決意しました。

今回、長期間撮影にご協力頂いた浅香ご夫妻を始め、稲含神社神楽関係者の皆さま、飯塚のおいさん、出演ご協力ありがとうございました。

個人的には伐倒作業の休憩時間にお話しいただいた内容が心に滲みてしまいまして、納品用の動画ではないDirector’s cutバージョンをここに掲載させていただきます。

 

次世代の調理人たちへ

群馬県前橋市、利根川の畔に、ピッツァ窯を始め、パン窯、かまど、薪グリル、トスカーナ暖炉等、様々な調理窯煉化石窯を設計・製造している会社がある。1917年創業の増田煉瓦だ。社名の通り、煉瓦製造から出発した会社である。

5代目となる増田晋一社長は、大学卒業後、東京三洋電機(現パナソニック)に就職し、エアコンや冷蔵庫のコンプレッサーの設計を行った、生粋の技術屋。34歳で家業を継いだが、その時煉瓦製造は過渡期を迎えていた。

技術屋の若き社長は、持ち前の探究心と実行力で、付加価値の高い商品を次々に開発していく。日本のレギュレーションや思慮深さに応えたピッツァ窯は、本場イタリアでも高い評価を受けている。国内外で製造した窯は1800基以上にものぼる。

そんな増田社長が昨今熱心に開発を進めている商品が汎用薪窯。薪を使った窯は、安全性の確保に細心の注意を払うとともに、都市部などでは排気排煙など、完成まで約2ヶ月を要す、依頼側にも製造側にも手間暇とコストのかかる一大設備だった。

自然との関係性が全ての営みにおいて必要不可欠なものとなった現代、地域の森林資源をエネルギーとして活用する動きが再熱し始めている。人間が古来より貴重な熱源としてきた、循環型のエネルギーとしての薪は、調理分野においても注目を集め、火入れの緻密さによる素材本来の美味しさを引き出すと注目を高めるほか、限界集落の新たな産業創出のきっかけとしても大きな期待を持たれている。
これを好機と捉え、より多くの方々に薪窯の良さを知ってもらうため、工期が短く、さらにリーズナブル、そして安全な厨房設備としてパッケージ商品化しリリースする。

同時に、薪火を正しく使える調理人育成の重要性を強く感じ、日本各地の循環型畜産や地域活性化に関わる薪火調理人渡邊雅之氏とともに、薪火・熾火を使った調理の継承に着手した。

託された森と想いを次世代へ 烏川流域森林組合

託された森と想いを次世代へ

烏川流域森林組合は、群馬県高崎市倉渕町、名峰・榛名山の西麓から南麓一帯と高崎市街を眺望する観音山丘陵の山林を管轄する林業団体だ。

今回、組合の若手3名への取材をさせていただいたが、この自然と関わる仕事の裏側に、問題意識と、自分がどう生きたいのかの決意、が見えた。

市川代表理事組合長の言葉を借りれば、「木一代・人三代と言われる林業、播種(はしゅ)から収穫まで数十年から百年を超える気の遠くなるような歳月を要する仕事」だからこそ、彼らは”自分がどうありたいか”という単純な一人称の軸だけではなく、先人たちや未来の人々を強く意識している。

働くことの意義、日々の暮らしへの疑問、はたまた”どう生きたいのか”を考える若者にとって、その悩みを根本から打ち壊し、思考をゼロから組み立て直すことのできる稀有な環境だと感じた。

時代がどう変遷しようと、森林が人類の生存に不可欠な事は明らか。

“託された森と想いを次世代へ”

これからの子供たちが目指す仕事の一つになっていくことを願う。

烏川流域森林組合

高崎市倉渕町への移住促進 倉渕ライフ(高崎市倉渕商工会)

少年のようなオヤジたちの挑戦

甘楽町福島にはかつて13もの瓦屋が存在した。近代化の流れで屋根瓦製造産業は下火となり、現在は組合員6社が、一般家庭の屋根リフォームを主業務として、瓦製造は日常的な業務ではなくなってしまった。

瓦屋に生まれた現組合理事の3人、シンイチ、タモツ、イサオは、それぞれの思いをぶつけ合いながら、そして楽しみながら、この産業のあり方を考えている。

2007年、近代化以前の窯「だるま窯」を復元、昔ながらの製造方法で、瓦・レンガづくりを行っている。一件時代に逆行していると思われるこの窯が、SDGs全盛の現世において、再び注目を集めている。

組合のアイコンとも言えるこのだるま窯は何故作られたのか。また窯とともに瓦文化を未来に残していく事ができるのか。

今も少年の様なオヤジたちが、その問いに挑戦し続けている。

「美味しかったよ」の一言で

明治36年創業の甘楽菓子工房こまつや。レモンケーキが大人気の菓子店。

数々のメディアに取り上げられるレモンケーキの他にも、常に200種類を超える和洋様々なスイーツを創造し、街のたくさんの人の笑顔を作っている。

探究心旺盛な4代目の山本雄三は、洋菓子を始めた父の背中を見て育ち、伝統的なお菓子だけに固執せず、お客様の今求めるものに応えるという精神を受け継ぎ、そしてまた次世代への継承が始まろうとしている。

山本には、常にアンテナを張り、今好まれるものを提供すること以外にも、もっと深くずっと守り続けている信念がある。お菓子はお客様を笑顔にさせるツールだということ。「美味しかったよ」の一言が彼にとって最高の報酬だ。その信念があるからこそ、現代のニーズに応えながらも一時代に流されず、どんな世代にも愛される店として認知されている。 お客様の笑顔のために探求し続ける「こまつや」だからこそ、たくさんの人がずっとずっと、通うのであろう。

新しき良き地域との繋がりを

1945年創業の富田製麺。今も昔ながらの製法を守り、家族ぐるみで、うどんをつくり続けている。

『麦を分けていただく代わりに、美味しいうどんにして返す』 戦前戦後の食糧難を力を合わせ乗り越えた、地域の人々の繋がりを大切にする思いは、四代目菊池崇寛にもしっかりと受け継がれている。 地元甘楽町産の小麦を使用した”地粉うどん”は、今も創業当時と変わらぬ小さな製麺所で日々つくられる。
「製粉仕立ての全粒粉を用いた風味豊かな富田のうどん」この味をよく知る世代も高齢化が進む。

食生活の変化や町民の流出流入なども重なり、「富田製麺は何を思い、何をつくり、何をなそうとしているのか」が、新しい世代に伝わっていないことに危機を感じ、うどんという垣根を超えた新たな商品の開発、インターネット販売、アクセスの良い新店舗開設など、休まず挑戦を続けている。

「単なる商売ではなく、地域の人々と深く心から繋がっていたい」 富田製麺の根底には、そんな想いがある。

一、地域に愛された風味豊かな地粉うどんの味を守る
二、時代に受け入れられるための変化を積極果敢に行う

この2つを事業継続の両輪と捉え、四代目は「新しき良き地域との繋がり」を具現化していく。