未来へつなぐ有機農業

2023年10月20日、生まれ育った甘楽町が、オーガニックビレッジ※宣言を行いました。

※オーガニックビレッジとは、有機農業の生産から消費まで一貫し、農業者のみならず事業者や地域内外の住民を巻き込んだ地域ぐるみの取組を進める市町村のこと。農林水産省では、オーガニックビレッジを2025年までに100市町村、2030年までに200市町村創出することを目標に、全国各地での産地づくりを推進している。

出典:農林水産省/https://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/yuuki/organic_village.html

計画の策定が続く中、まずはこの宣言式に向け、これまで甘楽町が行ってきた有機農業の取り組み、現状、そしてこれからを想起させる動画制作をご依頼いただき、宣言式にて上映いただきました。

歳を重ね健康志向が高まってくると、有機、オーガニック、無農薬、無化学肥料、無添加、無化調…そんな単語が色を付けて見えてくるようになります。しかしそうした農産品を育てる過程や背景や生産者の想いを想像し、あえてそうした商品を手にする消費者はどれだけいるのかと考えさせられる取材となりました。

撮影を進めていくうちに、同級生のご両親が有機農家さんだったことを知ったり、持久走大会で走ったあたりの畑が有機圃場だということを知り、甘楽町の農家さんたちは、ずっと前からその土地に暮らす人々の健康を考え、多くの苦労を重ねながら取り組んでおられたのだなと、感謝の感情が湧き上がってきました。

現茂原町長からは、前町長から贈られた「身土不二」という言葉「人間の身体と住む土地は、切り離せない関係にあるんだ」ということを、動画にしっかり取り込んでほしいと、何度もお話しいただきました。

身土不二は、食の解釈では、地産地消スローフードなどの言葉に通じると思いますが、農業振興に邁進していた頃を懐古し「やっとの思いでここまで来た」と言う町長の言葉に、その想いを伝え続けることの困難と情熱が見え、仏教用語の解釈を交えた「土地環境へのこれまでの行いが、必ず自分の身へ返ってくる」というような戒めにも感じ、ただトレンドに迎合したり、国が進める取り組みにただ乗っかっての宣言ではない、「我らが甘楽町はずっと前からオーガニックビレッジだったんだ」という事実を伝える動画にしなければと、編集作業に務めさせていただきました。

有機農業研究会の創始者吉田恭一さんからは「ちょうど子供が生まれて…」と有機農業を始めたきっかけをお話いただきましたが、(本編には採用していませんが)沈黙の春(レイチェル・カーソン著)や、複合汚染(有吉佐和子著)を読んだことも大きなきっかけになったと話してくれていました。

①②有機農業の動画を制作するにあたりこの2作品を知らないの?とお叱りをうけそうな歴史的名著2つだそうです。沈黙の春にインスパイアされ、虫の存在を必ず何処かに、そして鳥の囀りを随所に入れたいと考えました。

複合汚染が新聞連載されていた期間に自分は生まれたことを知り、書籍を手に取りました。今読んでも気づきや学び、そして今回のメインの取材対象である農家さんたちの心底にあるものへの理解が深まりました。

人類の叡智の蓄積において私たちが陥ってしまった”自分で考えないですむ社会”では、物事の本質や背景が表に出てこず、映像を含めたコンテンツ制作においても、短絡的な表現が横行していると感じています。

聞こえの良いフレーズやロゴマークを見て安全性を確認できるのも一つですが、取材を進めていくと、育てている人たちの言動に触れることが、何より大きな安心につながると実感。今回お話を聞かせていただいた方々からは「こういう人の育てた野菜を食べたい」と感じるのです。

“とにかく生産者さんたちの顔がたくさん見えるものに”という町の担当者さんの強い要望の真意を理解しました。

③YouTube用サムネイルは、生産者さんたちの人となりが伝わるよう、個別撮影時の笑顔をいっぱいに。

未来へつなぐ有機農業の取り組み動画シリーズ

オーガニックビレッジ宣言式で放映した動画は”有機農業に取り組んできたこれまで”を主題としていましたが、宣言後のこれからの取り組み紹介を目的として、さらに4本の動画を作成させていただけることとなり、道の駅甘楽や甘楽ふるさと館など町外を含めた人々との交流拠点における活動、町民にとって最も身近な学校給食を通じた食育活動、有機農業の担い手として町外から移住され有機農業を営む農家さんの本音、遊休農地を活用した町の今後のヴィジョンのみえる新たな施策有機オリーブのプロジェクトなど、それぞれテーマ別に取材を行い、作成させていただきました。

一つ制作の裏話として、この動画制作において憂慮すべき点は、今回の主役はあくまで有機農家さんやオーガニックビレッジの取り組みに直接関わる方々でなくてはならないということでした。

オーガニックビレッジ宣言をすることが、有機農家以外の農家さんたちにどのような影響を及ぼすのか、最初の打ち合わせの段階から、町の担当者さんもこの悩みをお持ちのようでした。

産業文化祭の様子を撮影に伺った際、農畜産業を営んでいた家で育ち、今は給食センターで子どもたちの食に従事しているという同級生と数年ぶりの再開をしたのですが、彼も同様に甘楽町がオーガニックビレッジ宣言で有機農家さんたちだけがフィーチャーされることを強く心配していました。

なぜなら、甘楽町の多くの慣行農家さんたちは、有機農業ほど厳格でなくとも、行政の定めた基準よりはるかに食の安全や環境を考えた数値で、収量とのバランスを考えた生産をずっと続けているから、だそうです。

毎日のようにそうした生産者さんと対話し、大切に育てた野菜の素晴らしさや彼らの守る農地の尊さを目の当たりにしているからこそ、有機かそうじゃないかで優劣を決められる様にだけはしてはならないのだと、語ってくれました。

余談ですが、彼は小学生の頃、健康優良児表彰を受けてましたし、「インスタント食品だけは口にしちゃだめだよ」と良く話していました。虫歯が1本もなかったのを覚えています(笑)。名は人を表すと言いますが、田や村を守るという名前がすでに身土不二精神を行く存在だなと。

有機栽培が比較的行い易い作物、逆に適さない作物もあります。また決まった量をその日必ず提供しなければならない現場においては、慣行農家さんがバランサーとして町のオーガニックビレッジの取り組みを下支えしていることも忘れてはならない現実です。

オーガニックビレッジの取り組みは、広い意味ではたくさんの方々が関わって成立しているということも伝えなければと考えていたのですが、映像の中で直接この事に触れることが難しくなってしまったのは、自分の力の至らぬところと反省しています。

この取材のスタートは小学校での給食でしたので、もし子どもたちがこの記事にたどり着くことがあったときのため、記しておきたいことがあります。

オーガニック推進が正しい道であることは間違いないと思いますし、また日本のオーガニックが世界的に見てかなり遅れていることも事実です。しかし、オーガニックかそうでないかという極端な考え方にはならないで欲しいと思います。

映像内においては、どうしても有機生産者、有機生産物・加工品にフォーカスしていますが、甘楽町のオーガニックビレッジの取り組みは(もっと大きく言うと地球環境は)、あらゆる人とその行動とつながっています。

レッツオーガニックの名フレーズを生み出した三木理事長が「生活の中に少しでもオーガニックを取り入れてもらいたい」とお話しされていた様に、みんなの”少しでも”の積み重ねが大切で、甘楽町は誰もがちょこっとずつオーガニックに関わりやすい素敵な町です。

食の安全や自然環境を考えるのが難しかったら、水、空気、風景、虫や鳥、動物、野菜、お米…、もっと身近な何でもいい、興味が湧いたものと自分がどうつながっているかを、考えてみて欲しいのです。

そこがオーガニックの一番の根っこです。

この一連の動画が「次のステップへ向かっていく」一つの小さなきっかけになれば幸いです。

最後に、私は甘楽町から転出してしまった身ではありますが、甘楽町民憲章の筆頭に記されている「一、 わたくしたちは、自然を愛し、清澄な空と水をまもり、健康な町をつくります」の一条が、半世紀近く町民にうけつがれ実行されている故郷へ心から敬意を表するとともに、今は町の外側から甘楽町のためにできること、今自分の住む町にとってできること、地球にとって正しい選択を、一つでも多く行っていければと思います。

有機農業研究会の皆様をはじめ、町内の様々な施設で取材・撮影にご協力いただきました関係各位、そして半年以上に及ぶ期間、オーガニックビレッジの取り組みに注力しなければならない中、制作側からの要望にも都度真摯にご対応いただきました産業課農林係の皆様へ、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

関連リンク

Home 帰りたい場所であり続けること

帰りたい場所であり続けること

昨年から継続的に高崎市倉渕町への移住促進を題材とした動画を作成しているのですが、今回は過疎が進み廃校になった川浦小学校跡を活用し、総木造りの寄宿舎で、外国人スタッフとともに様々な生活や自然体験活動を英語で行う、国内英語留学施設「くらぶち英語村」が舞台。

村長さんも、留学生(小中学生)もスタッフも、多くが地域外から集う人々。くらぶちを知らずにここに来たからこそ感じる点など、様々なお話しをお聞かせいただきました。

子どもたちの生活をサポートするスタッフはみな、子どもたちの成長にやりがいを感じると話されます。自分も一人の親として、協調性や社会性、探究心や向上心、そして何より自ら考え行動する力をどのようにして育んでいけばよいのかを日頃から考えてはいるのですが、英語村の子どもたちは、ここで暮らし始めてたった半年で”生きる力”が備わってきていることに、大きな衝撃を受けました。

このくらぶち英語村の立ち上げから関わるKONNOさんは倉渕に移住して6年が経過。その間に産まれた2人の子育ての真っ只中。自然環境や地元住民のよそ者を受け入れる優しさなど、倉渕の魅力を次々に語っていただきましたが、一番印象に残ったのは、「”ふるさと”には、そこで共に過ごした人が必要だ」という言葉。

KONNOさんの様な移住者たちが、将来の倉渕の魅力を高めていくのだと確信することが出来ました。


くらぶち英語村
kurabuchi-eigomura.jp

公益財団法人育てる会
sodateru.o
r.jp

KON FILMS
instagram.com/kon_films/

樂 大前木材

樂 – ROKU –

林業を営む夫婦がつくる、天然木と天然石をつかった素朴なアクセサリー「樂 – ROKU -」。

樂の工房は、森深い場所にありました。その母体は自ら木を切り製材販売する大前木材。

林業、製材、建築と、木と住まいに関する事業を展開していった先代は、伐倒した枯木も価値ある資源と考え、大切に保管してきたそうです。

現代表の浅香ご夫妻が、地元甘楽町秋畑の山林に再び注目してもらおうと、この材を用いて木工品づくりを始めたのが「樂」の起源。ヤマザクラを使った楊枝入れに始まり、様々な生活小物、そしてアクセサリーなどに展開することで、より多くの人々と出会い、語る機会を得ました。今後は書棚やテーブルなどの大物、そしてDIY用の杉・ヒノキの販売も行い、地域の森林の循環に貢献していきたいとのことです。

太陽と月をモチーフにした、喜虹(きこ)と名付けたアクセサリーシリーズは、イベントやデパート催事などでの販売を通じ、自然愛好家や、文化志向の高いミドル女性を中心に人気を獲得。 「エシカル消費」という言葉が少しずつ浸透し始めた今、性別問わず若い世代にも受け入れられ、その素朴で愛らしいデザインと、製作の背景にある想いが共感をよんでいます。

森林面積が国土の7割も締めている日本。しかしこの日本で使われる木材の約7割が外国産材という木材自給率の低さにより、国産木材の価格も下落してしまい、森林整備もままならず、様々な問題を生じさせるという負のスパイラルに陥っていました。地元の木を使うことは地域経済や森林の循環に必要不可欠なのにも関わらず、多くの方が低コストに傾倒してしまっているのです。しかし地球温暖化や循環型社会の実現への流れ、そして近年のウッドショックや円安の影響もあり、木材の地産地消の流れも大きなものとなってきています。

日本国内における森林の循環は大丈夫だろうと、浅香氏は言います。 世界に目を向けると、生活困窮者による絶滅危惧種の違法伐採など、悲しい現実にも直面します。現地の人たちの身になれば、それを生活の糧とせざるを得ないのは当然のこと。しかし植林できないままでは、彼らも生きていけないこととなってしまう。

「樂」というブランドは、そうした違法伐採された絶滅危惧種を用いたアクセサリーをつくり、多くの方々に身に付けていただくことで、その危機的状況を多くの方々に伝えたいという想いがベースにあります。そして浅香夫妻は、少しずつでもみんなでこの問題解決に向かっていけるよう、天然木と天然石のアクセサリーづくりを続けています。

世界で植樹する事が夢だ、と浅香氏は語ります。 地元の資源を大切に使い生活の糧としていくことは、自然や山とともに暮らしてきた人類にとって不変のもの。忘れてはならないその事実を私も身につけて生きていこう、そう決意しました。

今回、長期間撮影にご協力頂いた浅香ご夫妻を始め、稲含神社神楽関係者の皆さま、飯塚のおいさん、出演ご協力ありがとうございました。

個人的には伐倒作業の休憩時間にお話しいただいた内容が心に滲みてしまいまして、納品用の動画ではないDirector’s cutバージョンをここに掲載させていただきます。

 

次世代の調理人たちへ

群馬県前橋市、利根川の畔に、ピッツァ窯を始め、パン窯、かまど、薪グリル、トスカーナ暖炉等、様々な調理窯煉化石窯を設計・製造している会社がある。1917年創業の増田煉瓦だ。社名の通り、煉瓦製造から出発した会社である。

5代目となる増田晋一社長は、大学卒業後、東京三洋電機(現パナソニック)に就職し、エアコンや冷蔵庫のコンプレッサーの設計を行った、生粋の技術屋。34歳で家業を継いだが、その時煉瓦製造は過渡期を迎えていた。

技術屋の若き社長は、持ち前の探究心と実行力で、付加価値の高い商品を次々に開発していく。日本のレギュレーションや思慮深さに応えたピッツァ窯は、本場イタリアでも高い評価を受けている。国内外で製造した窯は1800基以上にものぼる。

そんな増田社長が昨今熱心に開発を進めている商品が汎用薪窯。薪を使った窯は、安全性の確保に細心の注意を払うとともに、都市部などでは排気排煙など、完成まで約2ヶ月を要す、依頼側にも製造側にも手間暇とコストのかかる一大設備だった。

自然との関係性が全ての営みにおいて必要不可欠なものとなった現代、地域の森林資源をエネルギーとして活用する動きが再熱し始めている。人間が古来より貴重な熱源としてきた、循環型のエネルギーとしての薪は、調理分野においても注目を集め、火入れの緻密さによる素材本来の美味しさを引き出すと注目を高めるほか、限界集落の新たな産業創出のきっかけとしても大きな期待を持たれている。
これを好機と捉え、より多くの方々に薪窯の良さを知ってもらうため、工期が短く、さらにリーズナブル、そして安全な厨房設備としてパッケージ商品化しリリースする。

同時に、薪火を正しく使える調理人育成の重要性を強く感じ、日本各地の循環型畜産や地域活性化に関わる薪火調理人渡邊雅之氏とともに、薪火・熾火を使った調理の継承に着手した。

託された森と想いを次世代へ 烏川流域森林組合

託された森と想いを次世代へ

烏川流域森林組合は、群馬県高崎市倉渕町、名峰・榛名山の西麓から南麓一帯と高崎市街を眺望する観音山丘陵の山林を管轄する林業団体だ。

今回、組合の若手3名への取材をさせていただいたが、この自然と関わる仕事の裏側に、問題意識と、自分がどう生きたいのかの決意、が見えた。

市川代表理事組合長の言葉を借りれば、「木一代・人三代と言われる林業、播種(はしゅ)から収穫まで数十年から百年を超える気の遠くなるような歳月を要する仕事」だからこそ、彼らは”自分がどうありたいか”という単純な一人称の軸だけではなく、先人たちや未来の人々を強く意識している。

働くことの意義、日々の暮らしへの疑問、はたまた”どう生きたいのか”を考える若者にとって、その悩みを根本から打ち壊し、思考をゼロから組み立て直すことのできる稀有な環境だと感じた。

時代がどう変遷しようと、森林が人類の生存に不可欠な事は明らか。

“託された森と想いを次世代へ”

これからの子供たちが目指す仕事の一つになっていくことを願う。

烏川流域森林組合

高崎市倉渕町への移住促進 倉渕ライフ(高崎市倉渕商工会)

少年のようなオヤジたちの挑戦

甘楽町福島にはかつて13もの瓦屋が存在した。近代化の流れで屋根瓦製造産業は下火となり、現在は組合員6社が、一般家庭の屋根リフォームを主業務として、瓦製造は日常的な業務ではなくなってしまった。

瓦屋に生まれた現組合理事の3人、シンイチ、タモツ、イサオは、それぞれの思いをぶつけ合いながら、そして楽しみながら、この産業のあり方を考えている。

2007年、近代化以前の窯「だるま窯」を復元、昔ながらの製造方法で、瓦・レンガづくりを行っている。一件時代に逆行していると思われるこの窯が、SDGs全盛の現世において、再び注目を集めている。

組合のアイコンとも言えるこのだるま窯は何故作られたのか。また窯とともに瓦文化を未来に残していく事ができるのか。

今も少年の様なオヤジたちが、その問いに挑戦し続けている。