ばあちゃんの家に行くと、いろんな事が紙に書かれている。
じいちゃんとばあちゃんは2人で暮らしてた。ばあちゃんはボケが進んでた。
じいちゃんが介護してた。いろいろ大変だったみたいだけど、会話はできているようで、
人が思うほど大変じゃないよって言ってた。…全文を見る
を見て、うちのばぁちゃんの事を思い出したのでちょっと。
うちのばぁちゃんも大分呆けていました。
その時はすでに一人だったんで、アルファルファモザイクさんの記事で紹介されているような、おじいさんとのこんないい話は無かったですけど。
というより、もっと痛いボケ方でしたね。
近所の人に「あたしの通帳返せ~!」って電話したり…。
家の前の道をものすごいスピードで走っていたり…。
(本人いわく泥棒を追っかけていたようです。もちろんそんな泥棒いるわけありません…)
ただ最期の時が近づくにつれ、気持ちはだんだんと穏やかになり、少女のようになって行きました。
もう私が孫だとは全くわからない状況でしたが、それでも親しみ深い人を見る目をしていてくれた事をよく覚えています。
葬式の前夜いろいろ整理をしていると、ばぁちゃんの残したノートが数冊見つかりました。
「マサナオは大学に行って帰ってこない…。」
「○○(姉の名前)はアメリカに行って、もうしばらくあっていない…。」
もっともここに書けないような悪口なんかもたくさんあるんですが、結局人との会話やふれあいの欠如が、痴呆を早めていってしまったんだなぁ、親不孝ならぬばあさん不幸な孫だったな、と。
そんな悲しみいっぱいのノートだったんですが、
そこに一つだけ、私の知らなかったロマンチックなストーリーが書かれていました。
うちのばぁちゃんは、じいちゃんよりももっとずっと好きな人がいたみたいです。
まぁじいちゃんとの結婚自体、決められたものだったみたいで、そのことはよく聞かされていたんですが。
婆:「まだ一度も会ったことも無い人のところへ嫁いで行ったのよ!しかも満州まで一人で行ったのよ!」
爺:「(ばぁさんの)お姉さんが美人だから、良いと思ったんだけど…。」
いつも夫婦漫才ばりのやり取りで…。
戦前、また田舎の方では当たり前のことなんだろうけど、好きになった人と結ばれる事なんて滅多に無いことだったようです。
そのノートには、下手な俳句を交えながら、その愛しい人の事がつづられていました。
コトバじりはあまり良く覚えていませんが、
その方にも家族があり、近くに行っても顔を見ることもできない
何十年経った今も、好きになった方は一人だけ…
そんな中身だった気がします。
母に後から聞いたんですが、じいちゃんの葬式の時“その方”が来ていて、ただただ遠くから様子を伺っていたようです。
新聞のおくやみ欄を見て来てくれたそうなんですが、来たものの堂々と顔は出せない気持ちだったそうで、ばぁちゃんを案じ陰からそっと見守って…。
ばぁちゃんの葬式のとき、“その方”はいらっしゃいませんでした。
多分もうすでに亡くなられていたのかも知れません。
告別式や忌明けの席なんかで「先に天国にいっている爺さんのもとに…」って、
誰もが言うし、わたし自身も当たり障りの無いそのフレーズを口にしました。
でも心の中では、何十年の時を経てようやく“あの方”と一緒になれたんだなぁって。
良かったね、ばぁちゃん!って。
親父の葬式もじいちゃんの葬式も涙が出なかったんですが、
そんなノート見ちゃったもんだから、(ばぁちゃんの時は)ホントに涙が止まりませんでした。